08.『死ぬまで気持ちは変わりません』

 幸せで穏やかな時間というのはあまり長くは続かない。長い年月を沈黙していた帝国が突如として聖王国へと攻め入ってきたのだ。
 いや、突如というのは他から見てのことだろう。ぬるま湯につかり快楽を貪っていた貴族共は気が付かなかっただけで兆しはあった。

 宣戦布告がなされた直後に決まったはずのフェイス様の疎開は未だ実行されておらず、敵の本隊が近くまで迫ってきているというのに彼女は王都に居る。
 この状況だ。騎士団はあてに出来ないし、護衛の者たちも殆どがエルドレット陛下とグレアム殿下の護衛についているか、無責任にも役を辞してどこかへと逃げ去っている。
 俺は公爵家の私兵を引き連れ王宮に向かうと、フェイス様つきの女官に事のあらましとこれからの予定を簡潔に伝えた。
 事情を理解した女官は取り急ぎ侍女たちに支度を命じ、そう長くない時間の後にフェイス様との面会が叶った。

「フェイス様、これよりこの地を脱出いたします。私と他数名の護衛しか用意できなかったことが非常に心苦しいのですが、この命に代えても貴女様をお護りすると誓いましょう」

 頭を垂れ、臣下として騎士の立ち振る舞いをする。
 少し怯えているのだろうか。フェイス様は何かを諦めたかのような表情を見せていたのだが、俺と目があった途端にそのお顔に薄い笑みが浮かんだ。

 そして侍女から必要最低限の荷物を受け取ると、思い出したのかのようにフェイス様が何かを取るようにと侍女へ命じた。
 できるだけ急ぎこの地を離れたいので早く済ませて欲しいところだが、思っていたよりも早くフェイス様が所望したものがその手に収められる。
 凝った細工のなされたガラス容器に収められた赤い薔薇。宮廷魔術師たちが何かの薬剤で色形を保つ細工を施したのだろうそれは、彼女に捧げたときのまま時間が止まったかのようにその美しさを保っていた。

「さぁ、参りましょう」

 ダンスに誘った時と同じように差し出した手をフェイス様は迷うことなくとって下さる。
 あの時のように甘い夢のような時間であれば幸せだが、俺がこれから彼女を連れて行くのは予定していた疎開先ではなく、この大陸で唯一といってもいい味方の国だ。

 出来る限り人目を避けつつ王城を後にすると用意しておいた馬へ乗り込む。本来であれば馬車でお連れしたいところであるが目立つことは避けたいので、フェイス様には俺と相乗りしていただくことになる。
 腕の中の彼女を見るたびにこのまま二人、誰も俺たちのことを知らない場所へ逃げてしまいたい衝動に駆られるが、その気持ちを抑えながら港を目指す。しかしその道中、用意していた護衛は一人また一人と数を減らしていった。

「ミシェル、あの……私」
「フェイス様。それ以上は口にされてはいけません」

 人数が減るにつれ不安な気持ちが蘇るのか、家族の訃報を耳にしたからか、フェイス様は縋るような眼で俺を見てくるようになった。しかし俺たちの関係は、あくまでも主従なのだと言い聞かせる。
 聖王家の唯一の生き残りになるフェイス様は、いずれ指揮官として部下を切り捨てなければならない場面にも遭遇するだろう。余計な情を持てばいざというときに非情な判断を下すことができなくなる。

「さあ、海を越えればアイリス王国です。あの国であれば殿下のお力になってくれるはず」

 港町に辿り着いて間もなく俺たちは追われることとなってしまった。空き家にフェイス様を隠し、俺は敵の目を引き付けるため街の中へと飛び込んだ。使い慣れた弓と、もしもの時のためにと持ち歩いていた剣を携え港町を駆け回る。
 剣の心得がないわけではない。ただ単に弓のほうが得意だというだけだ。そもそも俺の一族は軍師のように頭を使うほうが得意なものばかりなので、ある程度安全かつ戦場を広く見渡すことができる後衛の弓兵や魔導士がほとんどだ。

 怒号が飛び交い幾つもの気配が俺を捕らえ、共に落ち延びたはずの王女の居所を聞き出そうと躍起になっている。
 敵の編成は殆どが賊崩れの傭兵だ。建物の隙間を縫うように走りながら順に射掛け数を減らすが、次から次へと湧いてくる。
 この港町について間もなく手に入れた情報が正しければ、もう間もなくアイリス王国の王子がこの地にやってくるはずだ。若く才能溢れる王子の手勢が間に合えば安心できる。

 一人二人と斃していったものの、やはり才の無さが祟ったのか接近を許した瞬間、俺の身体は肩から腹にかけて勢いよく切り裂かれた。

「フェイス様、ともに居られぬことをお許しください」

 断末魔代わりに呟きながら目を閉じる。騎士として主君を護り戦場で果てるのであれば本望かもしれない。
 主君より先に死ぬことも後に死ぬことも許されるべきではないが、遠く視界に映ったフェイス様がアイリス王国の王子に保護された姿を確認出来て気が緩んだのだろう。

 そして再び目を開いた時、目の前には大粒の涙を携えたフェイス様が居た。
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07.『愛しています』

 ここ数ヶ月、貴族連中と顔をあわせるたびに話題に上がる『赤薔薇の君』。王女の心を射止めた謎の貴公子の話題でこの国の社交界は持ちきりだ。
 他にも気にかけるべき話題は幾らでもあるくせに、他人の色恋沙汰となると野次馬根性が激しくなるのはどうにかならないものか。仮面舞踏会という場に現れた謎の貴公子の正体を探ろうと参加した様子の貴族の多いことといったらない。
 しかしこうして広く知られてしまったのは俺のミスだ。特定されてしまったわけではないが、貴族というのは余計なことをする奴も少なからず存在する。『今まで王女との婚約を拒否し続けていた公子が求婚している』など知れれば、フェイス様やその他王族に取り入るネタとしては十分な素材なのだ。仮面舞踏会だという事を隠れ蓑に、普段は押さえているフェイス様への感情を表に出してしまったのが影響してしまったのかもしれない。

「エリアス。俺は少し向こうへ行ってるから、メレディスから離れないようにしてろよ?」
「わ、わかっている」

 戦場では勇猛な友人も仮面舞踏会という享楽の場にしり込みしているのか腰が引けているようだ。しかしフェイス様が会場内に入ってきたのが見えたので俺は一時的にこの場から離れる。こういった際に遠くまで見通せるこの目はとても役に立つ。
 メレディスとエリアスはこのままフェイス様に挨拶をするつもりらしく、それに同席なんてしようものなら俺の正体があの方にバレてしまう。

 まだ少しぎこちないエスコートでエリアスがメレディスと共にフェイス様のもとに向かったのを、誰にも邪魔されない場所から隠れ窺う。
 髪の結い方は先日とさほど変わりないものの、フェイス様がその身に纏うドレスは今この国で流行中のデザインのものだ。胸元を強調するかのような作りと、今までよりも倍以上はボリュームがあるのではないかというくらいのスカートには刺繍やレースなどがふんだんにあしらわれている。

 真っ赤な生地のドレスに金糸で刺繍を施されたドレスは華やかで、こういった場にはふさわしいと思う。
 しかしなぜこんな派手なドレスを選んでしまったのだろうかと思わず頭を抱えてしまいそうにもなる。
 フェイス様の清楚な魅力を最大限に生かすのは淡い色合いのドレスだ。先日の深い緑色のドレスも彼女の魅力を再発見できた素晴らしいものであったが、今宵のドレスは少々品がない。しかしこういったことを直球で伝えるのは心証がよろしくない。角が立たぬようそれとなく伝える必要がある。

「またお会い出来ましたね」

 気をきかせてくれたのかメレディスが場所を譲ってくれたので、そっと近付くと軽く腰を曲げ片手を彼女へ向かって差し出す。先日と同じく、フェイス様は特に迷った様子もなく俺の手を取って下さった。

「今宵のドレスは先日とは随分と印象が違いますね?」
「少し派手過ぎましたでしょうか?」

 都合のいいことに女性というのは身に着けているものの話題を好むことが多い。
 なので言い回しに気を付けつつ、この方がどこまでこの華美なドレスを気に入っているかを探る。度合いとしては中くらいといったところであろうか。

「いえ。先日のドレスに比べると情熱的に感じましたので、お気を悪くされたのなら申し訳ない」
「いいえ、お気になさらず。ドレスの流行というのは難しいので私も試行錯誤中なのですよ」

 情熱的とは言ってみたものの、この言葉にはおおよそ二パターンの用途がある。一つは文字通りの意味で、もう一つは派手や暑苦しさなどをそれとなく相手に伝えられる。
 どうやら最近流行りだしたドレスの研究段階だったようで、俺の意見を少しは参考にして下さるかもしれない雰囲気だ。他の女性たちに比べれば胸元の露出が少ないのは、奥ゆかしいフェイス様らしく彼女の清楚な部分を感じられる。

「どのようなドレスでも貴女が身につければ流行など関係なく、全てが貴女の魅力を引き立てるものとなりますよ」
「相変わらずお上手ですのね」
「貴女の心を独占できるのならば」

 俺と彼女、二つの瑠璃が重なる。俺が今日、身に着けている仮面は先日のものとは違い目元が出ているものだ。視線がかち合えば色も形もはっきりと認識できる。

「貴女への想いは日に日に募るばかりだ」

 簡単に折れてしまいそうな細い腰をそっと抱き寄せ、耳元で甘く囁く。もう少しで唇が肌に触れるくらいまで近づいたところで思いとどまると香水の匂いだろうか、ほんのりと花の香りがする。

「貴女に会えなかった日々は苦痛で胸が張り裂けそうだった」

 本来であればこのように触れることすらかなわない相手だ。想いを寄せることも許されるべきではない。

「ですが夜空に輝く月のように手が届かない」
 
 別れ際、今宵も俺は赤い薔薇をフェイス様に捧げる。捧げた薔薇は三輪。意味は『愛しています』と『告白』だ。
 以前の分も合計すれば四輪となり、意味合いは『死ぬまで気持ちは変わりません』となる。
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06.別れの口づけ

 数週間ぶりにくぐる門は相変わらずで、出迎えてくれる黒服の応対も手慣れたものだ。
 エリアスに言われて心を決めたとまでは行かないが、今日はこの場に一つのケジメを付けに来た。
 彼女は俺の専属といっても良い娼婦だ。他の買い手がつかないことも無いだろうが、年齢的にもそろそろ辛いものがあるだろう。
 ここにはもう来ないという意味も込めての手切れ金と、もし娼婦をやめて新しい仕事を探す場合の準備を済ませてきている。

「まあ、ミシェル様。お久しぶりでございます」
「久しいな。……今日は君に話があってきた。大事な話だ」
「……お別れ、でございましょうか?」
「話が早くて助かる。こちらが手切れ金だ。もし他にやりたい仕事があれば紹介状も用意してある」

 珍しく従者を連れてこの場に訪れたので、彼女もすぐに俺の要件に気が付いてくれたようだ。
 俺は従者に目配せし準備してきた品を彼女に見せる。手切れ金だけでも向こう数年はのんびりと暮らせる額だ。
 後腐れの無い関係というのは相手を蔑ろにしなければ、関係を断ち切る際の手続きをきちんと踏めば問題ない。
 手切れ金には愛人への慰謝料の意味も込められている。これは今後、二人の関係を蒸し返さないことを約束させるためでもある。

「新しい仕事に関しては故郷に戻ってから決めようかと存じます」
「たしかスターチス伯爵領の生まれだったな。あの辺りであれば温暖だし、仕事に困ることもないだろう」

 必要なことを済ませたので屋敷へ帰ろうとしたところで、彼女が何か言いたげにしていることに気が付いた。
 ここで何かやり残していれば後々面倒が起こるかもしれない。そう思い、まだ何かあるのかと問いかけを投げかけた。

「では最後に、口付けを頂けますか?」
「額で構わないか?」
「はい。貴方様より祝福を頂ければ、よい門出となりましょう」

 そっと前髪を持ち上げ彼女の額へと軽く口付けると、そのまま挨拶を済ませ娼館を後にした。
 その後は一切の女遊びを経ち、騎士の職務と友人への教育を行う日々が続く。

 夜会の度に別れた令嬢たちに縋りつかれるのはさすがに嫌気がさしたが、彼女たちとは一緒に食事やお茶をしただけの知人でしかないのだ。
 貴族社会に生まれた以上は自由恋愛など無駄な幻想でしかないことを彼女たちにはいい加減理解してもらいたいものだが、つい半年もしない間にメレディスが愛する男と結ばれたせいもあってか多くの令嬢たちが夢を見てしまっているらしい。

 そしてまた開催された仮面舞踏会。今度はメレディスの家が主催しているのだが、彼女から招待状を渡されたときに聞きたくもない言葉を聞いてしまった。

「|あの子《フェイス》も招待してあるから」
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05.溜息

 仮面舞踏会から早三日、俺は親友とも呼べる男の勉強に付き合っていた。
 この国では異教と呼ばれる女神の加護を持つ竜殺しの英雄――翠緑の勇者などと呼ばれている、現在は幸せの絶頂にいる男だ。

「はあ~」
「ミシェルよ。俺の顔を見て盛大に溜め息をつくのは止めないか?」

 出会い頭に俺のこの態度は失礼かもしれないが、この友人とはこの程度で関係が悪化するような間柄では無い。
 むしろ変に気を遣ったりすれば、やれ頭でも打ったのかだの変なものでも食べたのかだのと冗談交じりに聞いてくるような男だ。
 そういった気さくで打算のない性格を気に入って親しくしている関係ではあるのだが、どうやら周囲から見れば俺たちの関係ほど意味の分からないものは無いそうだ。
 傍目には俺は婚約者を親友に寝取られた間抜けな男になるのかもしれないが、俺もメレディスも互いに恋愛感情など皆無だったし、そもそもお互いを異性として扱ったことが殆ど無い。多分、あったとしても夜会など公の場のみだろう。

「エリアス。お前、仮面舞踏会って解るか?」
「それくらい解る。仮面を付けて参加するのだろう?」

 純粋であるコイツが実に羨ましい。
 今まで公爵家の嫡男として育てられ、王侯貴族の愛憎劇やら何やらを見せられてきた身としては眩しいほどである。

「はあ~」
「だから溜め息を止めないか!」
「そうだよな、経験無いヤツだとそうおもうよな」
「だから、いったい何だと言うんだ?」
「いいか? 仮面舞踏会ってのはな――」

 ここで俺はエリアスに華やかな社交界の裏側を一部だけではあるが掻い摘まんで説明した。
 すると見る見るうちにエリアスの顔が真っ赤に染まっていく。女を抱いた経験など何度もある癖に、こういった話題は余り得意ではないらしい。
 メレディスと婚約したということはそう遠くない将来、この男も貴族の家に婿入りすると言うことになるのだから、知っていて損は無い情報だ。

「な、なっ、なっ……!」
「そういう訳だから、もし参加することになったときは気を付けるんだな」

 もし、なんて話しでは無い。エリアスには来月に参加予定が在るはずなのだ。
 義父になる騎士団長が『仮面』と言う名の鎧があれば、公の場での立ち振る舞いも人目が気にならなくなるだろうと気遣ってだ。
 この数ヶ月、俺とメレディスで作法など必要な知識を与えているが、残りは実践を積むくらいしかやることが無い。

「ミシェル。君から婚約者を奪った身で言うのも何だが、お前もそろそろきちんとした相手を決めた方が良いんじゃないか?」
「何を今さらなことを」
「いや、お前はいろいろと拗らせすぎだぞ。なんで女遊びばかりしているのかを知っているうえで言わせてもらうが、本当に愛しているのであれば相応の誠意を見せるべきだろう」

 唐突にエリアスがいつになく真剣な表情で諭してくる。
 本人曰く学は殆ど無いそうなのだが、こういった人間関係には敏感らしく、俺がわざと浮き名を馳せている理由も知っているようだ。

「この三ヶ月でお前の恋人じゃないかといわれている女性が何人いたと思うんだ」
「この三ヶ月か……そうだな、二十人くらいか? 割り切った関係の商売女と、行き遅れそうで焦りはじめた令嬢がただな。後者は遊ばれているとも気が付かずに、哀れなものだ」
「そうやって逃げ続けていると、いつか後悔することになるぞ」
「……言われなくても判っているさ」

 そうだ。いつかは決着を付けねばならない。平和も幸せも永遠に続くものでは無いのだから。
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04.『貴女しかいない』

 王都の中心に聳えるこの白亜の館に仮面舞踏会の参加者たちが次々と馬車で乗り付ける。
 カーテンの隙間から来訪者を確認しつつ、目的の相手が到着するのを待っていると、殿下がお忍びで使われる馬車が到着した。扉が開かれると深い緑色のドレスを身に纏った女性が降りてくる。見間違うはずも無い。フェイス様だ。
 俺は用意しておいた嘴の仮面をつけて瞳の色を隠す。俺の持つ瑠璃色の瞳はこの国では王家の血を色濃く引いている証だ。この程度のことで身元が割れてしまうのは宜しくない。

 仕入れた情報によるとフェイス様はダンス嫌いを克服するために、この仮面舞踏会に参加なされている。しかし普段のあの方の様子から、踊ったとしても三曲ほどが限界だろう。
 変な男が近寄らないようにするための手配は済んでいる。まず最初に年齢の近い俺が一曲目のお相手を務め、次に父上。三曲目には懇意にしている愛妻家の貴族を宛がう算段だ。四曲目も踊りそうな場合は俺か父上が談笑の後に誘う。
 本来であれば他の男がフェイス様に触れるなど許し難い行為だが、聖王家の人間として堂々とした振る舞いを求められるからこそ、夜会ごときであれば恙なく乗り越えてほしいのだ。

 フェイス様が本日お召しになっているのは先程も遠巻きに確認したとおり深い緑色のドレスだ。普段は淡い色合いのドレス姿が多いので、シックな色合いも相まって大人びた印象を受ける。
 髪の結い方も普段のような大人しい雰囲気のものではなく高い位置で結い上げられており、白磁のように美しいうなじにはそそるものがある。
 ホールに入ってきて間もなくは少々緊張しておいでなのか、少しうつむき加減に周囲を確認している。俺が確認できる範囲で五人ほどが下心を含んだ視線を彼女に向けていた。そんなことはさせるものかと俺は少々足早にフェイス様へと近付くと、余り音を立てずに近付いたせいか顔をお上げになられたフェイス様は少し驚いたような様子を見せた。

「こんばんは、美しいお嬢さん。よろしければ私と一曲踊っていただけませんか?」
「はい。よろこんで」

 フェイス様をダンスに誘うなど今までに一度もしたことが無かった。いや、出来なかったのほうが正しい。この大陸では余りメジャーな知識では無いが近親結婚は子孫に悪影響を及ぼす。
 お互いの立場的に子を成さないなど有り得ないし、こちらは散々と婚約の申し入れを断り続けているのだ。普段の夜会ではこうして彼女の手を取り踊ることなど出来るはずも無い。

「こういった場にはあまり参加されないのかな?」
「仮面舞踏会は初めてです。普段は夜会に参加しても家族としか踊らなかったので、慣れていないように見えるのでしたらそのせいかと」
「おや。それでは私は家族以外では初めてのお相手を務めることができましたか。これは嬉しいことを聞けました」
「まぁ、お上手ですのね」

 少し分かり辛いが、仮面の端から僅かにのぞくフェイス様のお顔はほんのりと赤く染まっているのが見える。
 仮面越しにフェイス様を見つめながら他愛もない話をしつつ踊り続けるが、曲が終わってしまうのがこんなにも名残惜しいと思えるのは初めてだ。
 しかし今までずっと狙っていた初めてのお相手も務めることができたのは、我ながら喜ばしい出来事だ。

 フェイス様と別れたあとは他の誘いをそれとなく躱しつつ様子を探る。
 今のところは予定通りに事が進み、三曲目が終わったところでダンスの輪の中からフェイス様が出ていらした。
 父上とも何か話をしながら踊っていらしたし喉が渇かれていることだろう。給仕からワインの入ったグラスを受け取ると、俺は偶然を装って彼女へ近づきグラスを差し出した。

「お楽しみいただけているようで何よりです」
「それが今日の目的ですもの。でも流石に普段はこんなに踊らないせいもあって、少々疲れてしまいましたわ」
「ふふっ。では、今夜の思い出にこちらを受け取っていただけますか?」

 差し出したワインを半分ほど飲んだのを確認したところで上着から外した赤薔薇を差し出す。

「今日この場所で、私という男と出会ったのだという記憶として貴女に受け取ってほしいのです」

 捧げた薔薇は一輪。意味は『一目ぼれ』や『貴方しかいない』。聡明な彼女であれば、この意味は調べるまでもなく解るだろう。
 我ながら随分と軽率なことをしてしまったが、もう引き下げることもできない。
 今まで散々、彼女との婚約を拒否してきた男がこのような行動を取ったとしれれば、王家は間違いなく俺とあの方の婚約を取り決めてしまうだろう。
 そうならないことを祈りつつ、彼女への想いを俺はこの胸に秘めたまま生きていくのだ。
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